アラフィフぴーちゃんのるんるん日記♪

私のとりとめのない日常を綴っております。20歳年下の彼氏とのやりとり、お片付けの話し、大好きな映画や本の話し、などなど。

May/7th/2020 幼少期のDV体験と彼への拒絶。

 

 

 

 

 

こんにちは。

私、ぴーちゃん。

 

 

 

20歳年下の彼と少し前までラブラブだったはずが、ここのところどうもギクシャクしている。

 

決して仲が悪いわけではないのだ。しかし、彼の愛情表現が今までとは少しズレてきている気がしてならない。

 

その理由は「私が幼少期に受けた父親からのDV」が原因だった。そのことをカウンセラーさんから聞いたときは「え?」という感じでしかなかった。確かに父親からのDVは今思い出しても怖い体験だ。しかし、私に優しくしてくれることもあった。だから心底嫌いにはなれなかったのだ。

 

しかし、父が亡くなったときは「これで誰も私に小言を言う人はいなくなった」と安堵したのを覚えている。

 

その父が亡くなって20年が経つ。この私の中にまだ父への恐怖が残っているというのか?確かに今でも父の怒号を思い出しはするが、特に男性への恐怖はない。むしろ、コンスタントに男性とはお付き合いを重ねてきた方だと思う。どれも長くは続かなかったが。

 

カウンセラーさんは「ぴーさんは父親から受けたDVのせいで男性にいつも怯えているのです。男性と仲良くお付き合いしているつもりでも、無意識に相手を拒絶してしまいます。お相手の男性もそれをどこかで感じてしまいぴーさんとの間に壁を感じるのです。これではお付き合いが長く続くはずがありません」と、驚くようなことを伝えてくれた。

 

私が彼を拒否してるですって? というか、今までの彼、全部?

 

私は自分では全く身に覚えがないのでキョトンとしてしまったが、魂が震えるような感覚になり涙が溢れてきた。身体はまだあの頃の恐怖を引きずっているの?

 

「でも、私は今の彼のことが大好きですよ?彼のことを受け入れているつもりです。拒絶するだなんて!」

 

「彼を拒絶しているのではなく【男性性】を拒絶しているのです。」

 

だ、男性性?

 

カウンセラーさんは更に今の私と彼の状況を詳しく話してくれた。

 

彼は顕在意識(表面上)は私のことを大好きだと思っている。しかし、潜在意識(自分でも気づいていない深い所)では私からの拒絶に絶望しているのだそうだ。

 

 

さらに、カウンセラーさんの説明は続いた。私が亡き夫と8年も結婚生活を続けることが出来たのは彼のことを「男性」ではなく「安心できる相手」として見ていたからだと言うのだ。

 

「DVを受けた女性は往々にして男性全般におびえる傾向があります。ですから結婚相手は安全な相手を選ぶんです。(男性と平穏に暮らそうと思ったら)それしかないんです」

 

確かに夫はとても穏やかな人で、お見合いで会ったあの日、私は「この人は今までの人とは全然違う。結婚するならこういう人がいいのかもしれない」と思った。彼も私を気に入ってくれ、結婚話しはとんとん拍子に進んで行った。

 

しかし、過去の男性たちとは違い、夫にときめきはなかった。でも、「結婚ってこういうものなんだ」と割り切ろうとしていた。

 

「ぴーさんは旦那さんのことを男性として見ていなかったんです。安心するという感覚をチャージしたくて旦那さんと結婚したのでしょうね。そして、それが叶ったのでやっと他の男性と恋愛できるようになったというわけです。しかし、まだ完全には父親のDVに対する恐怖が拭えていなかった。それが、今回の恋愛でも見えないところで影響してしまっているのです」

 

そんなこと意識できるはずもない。だって、幼い頃はDVを受けてる感覚すらなかったし、大人になってからそれがDVと呼ばれるものだと知ったくらいなのに。

 

「私は彼に一旦自分の家に戻り、そこから私の家に通うようにしてはどうか?と提案しました。でもすごく怖い顔をして拒否されたんです。それはどうしてなんですか?」

 

「そんなことをしたら、もう二度とぴーさんの家に戻ってこれない、と思ったからです。でも、彼はそれを言語化できていません。何故だか分からないけど、とにかくそれは出来ない!といった感じだったのでしょう」

 

なんということだ。トラウマというものはこんなにも尾を引くものなのか。私は愕然とした。

 

しかし、カウンセラーさんが言うには「今日このことに気付いたので、今後は無意識に彼を拒否している自分に気付くことが出来るでしょう」とのことだった。

 

それを聴いて、私はあっっ!と自分のある行動を思い出した。

イチャイチャしている最中に私はよくもがいて彼の腕の中から出ようとすることがある。自分の中では軽い冗談だったが、これもその一つだったのかもしれない。

 

「それも、拒絶表現のひとつでしょうね」

「うわー、私ったら彼になんてことを!」

 

彼は今、美容院に出掛けている。早く彼に謝りたい。そして、私はずっと「幼少期の自分」にも「大したことないじゃん、他にもっと酷いDV受けた人もいるんだし」なんて、とんでもない慰め方をしていた。この点にもカウンセラーさんから注意を受けた。

 

「私が受けたDVなんてまだ軽い方、なんて絶対に思ったりしてはいけません。軽い重いなんてないんです。幼少期の暴力を受けたぴーちゃんを傷つけることになりますよ。

あんなに怖い重いをしたのに、それを軽く見てはいけません。彼女が抱えた恐怖をしっかりと受け止めないと、次の段階にいけません。

この発言は、50年近く、ぴーさんが心の中で言い続けていました。そのせいで、暴力におびえ続けた幼いぴーちゃんが、その恐怖を抑えつけられ、その抑えつけられた恐怖心がことある毎に爆発し、ぴーさんの男性関係はことごとくダメになってしまったのです」

 

 知らなかった。「自分はまだマシな方」と慰めているつもりが、感情に蓋をしていただけだったなんて。

 

このカウンセリングの後、私は久しぶりに頭の中の霧が晴れたような気分になった。無意識とはいえ、彼を拒絶するような態度をとっていたとは!早く彼に謝りたい。そして、心から好きだと伝えたいと思った。

 

その夜は久しぶりにお互いマッサージを施し合い、その流れで愛情のこもったセックスができた。

 

「恐怖に怯えていた私」はまだ完全に癒えてはいないが、その存在に気付くことは今の私にとってとてつもなく大きな一歩となったと思う。

 

しかも、この気づきはまだまだ入り口で、私の持つ本当の恐怖はさらに奥深くに眠っているのだそうだ。「それはいつか気づくのを待ちましょう」と言われたので今はなるべく考えないようにしている。

 

今やるべきことは「しばらくは父への恐怖と憎しみをしっかりと見つめ、その上でやはり父親を愛していることに気付くこと」なのだそうだ。

 

今後もリトルぴーちゃんとお話ししながら、ゆっくり彼女の傷を癒していきたい。